幾霜::残日録::2006/08/02 (水)

 

移籍先を探しています。系統樹推定法やメタバーコーディング法などに詳しい研究者を探している方がおられましたらご一報下さい。

2006/08/02 (水)

[Life] 小二田セソセイと野口さん - 06:54:59

 えー、ここをチェックされてるかどうか知りませんのでmixiで目に付くようにタイトルで呼びかけてみる。是非『系統樹思考の世界』をお読みいただきたいと思う次第であります。

[Book] 『生きていることの科学』郡司ペギオ幸夫著 - 05:34:10

 うわ、ペギオ先生が新書書いとる・・・。果たして理解できる内容なのか・・・。うーむ、どうしよう。

[Book] 禅攣りp248図4-7 - 04:50:16

 これは分かりづらいと私も思ったのですがやはりそう思われた方がいらっしゃったようです。右の系統樹を縦横2倍に拡大した図を想像してみると多少マシになるかもしれません。枝上での形質状態をイメージするのでもいいですが多分そっちの方がムズいです。

[Life] 呼吸する - 04:30:56

 私は呼吸するように「思考する」ように心がけています。常に内向きです。本はいっぱい持ってますがつまみ食い読みばかりでほとんど通読しません。本を読み始めてもそこから内部の思考に没入していってしまって全然進まない。この本が通読できたのは、経験済みのことが多かったということが大きい。

[Life] むしろ書評を書く方が疲れた - 04:14:42

 所要時間3時間。これでようやく禅攣りから解放されルー。

[Book] 書評 『系統樹思考の世界 すべてはツリーとともに』三中信宏著 - 04:08:02

著者による紹介

 最初に申し上げておきますが、私はこの本を購入していません。著者から献本されています。そういう人間の書いた書評であることをあらかじめ踏まえてお読み下さい。それと、多分この文章は本を読んだ後にお読みになられる方が良いでしょう。まぁそれでは何のための書評なんだという感じですが。また、誤解・勘違いと思われる記述がありましたらご一報下さい。

 「系統樹思考」は全生物学者、全科学者、いえ、全人類に必須の思考法です。そして常にあなたも行っています。しかしながら、しばしば「分類思考」に囚われ道に迷い、過ちを犯します。もちろん、分類思考が役に立つことも、系統樹思考を行っても間違うことは多々ありますが。そんな系統樹思考と分類思考の関係がこの本のメインテーマであると思います。
 第1章では進化生物学を含む歴史科学と従来的典型科学との比較を通した「科学」の定義についての考察から歴史科学の正当性を議論しています。第2章では人が意識的・無意識的に行っている系統樹思考・分類思考の関係と「視覚化」の歴史を俯瞰し、系統樹と系統樹思考が何をもたらしてきたかを明らかにしています。第3章では推論の道具としての系統樹と系統学の基本を解説し、第4章で視覚化の道具としての系統樹とネットワーク(網状図)の利点・欠点に触れています。そして、プロローグ・インテルメッツォ・エピローグが進化生物学と系統樹・系統樹思考にまつわるエッセイ?となっています。歴史科学に関わる方、特に進化生物学者や、科学哲学に興味のある方にお薦めしたい本です。

 あなたにどれだけ系統樹思考が身に付いているか−これを測るものさしとしてこの本は使えます。プロローグを読み終えた時点で、「いや、ツリー(分岐図)ではこれらの系統は表現できない。正確にはネットワークでなければならないはずだ。」そう思った方、あなたはもうかなりの系統樹思考者と言えましょう。進化生物学の研究者でそう思わなかった方、ちょっとヤバいかもしれません。
 著者が述べるように、系統樹は図であり、言語です。言語は思考にも大きな影響を持っています。そして言語(とそれに基づいた思考力)は常に鍛え続けていなければすぐになまってしまいます。私は24時間365日頭の中で系統樹を描いていると言っても過言ではない生活をしています。ですから、この本に書かれている系統樹思考に関する記述は読むまでもなく同様の考察に至っています(その結論はともかく)。もちろん、過去の研究者の言葉や歴史的な部分については新たに知った事柄も少なからずありますが、私にとっては「そうか!」と氷解するような内容は無いわけです。しかしそれはつまり、年がら年中系統樹について考えているバカが長い年月をかけて経験してきたことを、この本を読めば超特急で「経験」できる=この言語を鍛え上げられるとも言えます。まさにこの本は系統樹という言語の最適の入門書・復習書なわけです。
 しかし、この本と系統樹思考を真に理解するためには統計的思考をそれなりに身に付けている必要があります。この本の中で、分類思考に批判的な(否定的ではない)著者自身も往々にして分類思考に囚われているかのような記述が散見されます。しかし、これは統計的思考を身に付けていればそうではないことが分かるでしょう。実際、現在では統計学と系統学は切っても切れない関係にありますので『統計学を拓いた異才たち』なども併せてお読みになると理解に役立つと思います。

 しかしまぁ良いところばかりとは言えません。私的に気になった点を一つ挙げておきます。
 第1章は、従来型典型科学の基準を初めに挙げ、歴史科学がそれを全く満たさないことを述べた上で、歴史科学では基準を変えようと言います。これは非常に拙い論理展開であると思います。「野球の試合で勝てないから、僕らが勝てるように野球のルールを変えましょう」と言っているように見られてもおかしくありません。歴史科学の科学としての正当性の議論の歴史を踏まえた記述としてこのような記述がふさわしいのかもしれませんが、読んでいて気になる点ではありました。私なら、「そもそもその基準を満たす科学なんて無いのだから基準が不適切である」、「むしろこれらの基準を厳密に満たすものは科学ではない」、「特定の学問分野が科学か科学でないかなんぞどうでもいいのであって重要なのは筋が通っているかいないかである」、「そもそも「特定の学問分野」などというものは実在しない」などと言うでしょう。もっとも、4番目に挙げた話は後に出てくるのですが。ところで、それが科学かどうかなんてどうでもいいのですが、自分がどんな学問が好きなのか、ということは意識しておくと良いことがあるかもしれないですよ。

追記 - 06:53:05
 「個別科学の系統樹」がどうとか書かれている書評があるが、私が著者ならものすごく凹みそう。一番重要なところを絶望的なまでに理解させることができなかったということなのだから。「個別科学」というくくり自体に実体を認めていないということが分からないのか。個別科学はOTUにはならない。OTUになりうるのは「研究者」とか「論文」でしょう。

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