幾霜::残日録::2006/10/05 (木)

 

移籍先を探しています。系統樹推定法やメタバーコーディング法などに詳しい研究者を探している方がおられましたらご一報下さい。

2006/10/05 (木)

[Life] プログラミングをする動機 - 21:40:42

 プログラミングに限らず、何か新しいことに挑戦するには動機が必要だ。プログラミングや統計学のように、それ自体が目的ではなく、それは方法に過ぎない場合には特にそうだと思う。
 私がプログラミングを始めたのは、生物学辞典をZaurusで引けるようにするためだった。そして、EPWING形式の生物学辞典を、PDIC形式へ変換するためのPerlスクリプトを書いた。この挑戦(というほど大層なものでもないが)が上手くいったのは、「ゴールがスタート地点から見えるほど近い」ということに尽きる。つまるところ、ゴールをスタート地点から見える範囲に設定することが重要なのだと思う。夢を叶えるには叶う夢を見ればいいのである。
 当時の私でさえもはや手段を目的化できるほど若くはなかったし目的も無しに勉強ができるほどバカでもなかったが、その代わりにDDwinの出力する生物学辞典のテキストデータからPDIC一行テキスト形式への変換手順が具体的にイメージできるようになっていた。つまり「ゴールが近くに見える場所にいつの間にか来ていた」。これは長い間アルゴリズムをイメージしながらPCに触れ続けてきたからできたのだと思う。中学の頃にプログラミングを勉強しようとした際には、本に何が書いてあるのかサッパリ分からなかったし、見える範囲にゴールが無かった。今もプログラミングや統計学の本を読んでもサッパリ理解できないことがほとんど・・・というか、そもそも読む気も出なくて実際読まない。
 というわけで、まずは何も読まずに適当に操作するのが常道となっている。故に、「何も読まずにまずは操作」ができないものを使いこなすことは私には不可能に近い。プログラミング言語やEmacsがまさにそれ。故にこそそれらを使いこなすようになるには強い動機か手段の目的化(=動機の捏造)が必要になるのか。
 私が言いたいのは、見える範囲にゴールを設定しろということではなく、いつ自分がゴールを造ってしまっても(=動機ができてしまっても)見える範囲になるように普段から行動しておくことこそが肝要ということです。

 なんてことを書くという現実逃避がしたくなるほど今私は動機が弱まっている。妥協して近くにゴールを設定することを自分に説得し続けて早何日か。やれやれ。

[Science] 一般化加法モデル - 21:00:55

 VGAMとかで「対応している」とか書かれていても、「何それ」状態。っつーか「加法モデル」自体が分からん。まぁ、ぶっちゃけ「線形モデル」も「線形とはどういうことか」も私は理解してませんがね。

[Software] タブ切り替え型PDFリーダ「Free eXPert PDF Reader」 [窓の杜] - 20:00:30

 タブ切り替え型のUIが基本的には嫌いなので私にはしっくり来ません。というかMDI型UIも嫌いですけど。最近のWebサイトは横1024ピクセルを前提としてデザインされていることも多いのでWebブラウザでは仕方なく使ってますが、本当は横幅さえ十分なら複数並べて使いたいんですよね。それにはタブは邪魔でしかない。PDFの閲覧はまさにそういう用途なのでタブは邪魔。あと、ウィンドウ上部にでかでかとクレジットが表示されて無駄にスペースを浪費してくれる辺りに技術者としての志の低さを感じてしまいます。その割に動作はさほど軽くもないし。検索は問題無く動作します。Foxit PDF Readerではヒットしなかった文字列でもちゃんと引っかかりました。ただ微妙にレンダリングがおかしい気がします。検索にヒットした文字列の反転表示がきちんとされなかったり。

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