2016/03/11 (金)
◆ [Life] あれから5年 - 23:46:01
あまり過去は振り返らない人間ですが、さすがにあの日のことは今でもよく覚えています。
当時私は筑波大学に在籍していましたが、生態学会の大会があったため札幌に滞在していました。揺れを感じたのは琉大のKBTさん、東大のHROさん、千葉大のMRKMさんらの集会の最中だったと思います。KBTさんが揺れについて、「疲れているせいで自分がふらふらしているのだと思った」とかおっしゃっていました。私はP波とS波の間隔からかなり震源は遠く、それでもこれほど揺れるなら震源地付近は大地震で、もし三陸なら大津波が来るだろう、というところまでは想像がつきました。
学会後、欠航で帰れなくなったため、また、帰っても余震とかしばらく怖いということもあって、数日北大苫小牧研究林に滞在しました。生態学会で宿泊できるというアナウンスがあって即座に訪問を決めました。苫小牧研究林は、森林生態学や川と森との物質循環の研究で知られており、一度行ってみたかったのです。かなり雪に埋まっていてあまりいいものは見られませんでしたが。
その後、羽田空港経由でつくばに戻りましたが、茨城空港に車を置いていたのでしばらく車が使えなくて困りました。バスで空港へ行った際には車の鍵を忘れるという大失態で、日をあらためて再度空港へ車を取りに行きました。もうガソリンの供給はそれなりに回復していましたが、当時はまだ行列に並ぶ必要がありましたね。
地震の前日、東北大の恩師が仙台に戻ってしまったのでかなり心配でしたが、他の知人も含めて皆無事だったようです。つくばでは大学の校舎がかなり傷んでいました。渡り廊下とかは継ぎ目がズレてしまって外が見えていました。東北優先で予算が付いたため復旧には時間がかかったようです。私は自分のデータも心配でしたが、幸いHDDは飛んでいませんでした。PCは1台宙返りして落下していたようですが。
もうあれから5年とは、早いものです。多くの方が亡くなり、実際に人が住めない地域ができてしまうとは以前は妄想に過ぎませんでしたが、そういう事態が実際に起こったため、他の悪い妄想も一笑に付せなくなってしまいました。様々な事態を想定して行動をしていかなくてはなりませんね。もうそろそろ良い方向に世の中が向かって欲しいのですが、あまりそのような期待は持てそうにないのが残念です。
◆ [Life] 未来予想 - 00:53:59
期待半分ですが、実現可能性はそれなりにあると思っています。
人工知能や機械学習法の発展によって英日・日英翻訳は機械に任せられるようになり、日本語を母語とする人のハンデはなくなる。
大容量キャパシタが実現し、風力・太陽光などの不安定な発電方法による電力供給が安定化可能になる。